次に、「協調性」「礼儀」についてだ。
静葉のような利用者は、「協調性」があるとも「礼儀」があるとも、言わない。
そんな節度のある人間は二言目には「排除の論理」を持ち出す事はないだろう。
滑稽なことに、Jawpにおいてはこの二言目に「排除の論理」を持ち出す自警と揶揄されている
利用者がことさら「協調性」「礼儀」についてなんか言ってくる。
これは当然「自警」の言葉に内包されている意味である「独善性」とも関係がある。
最近では、「礼儀がなっていない」という理由で、優良な利用者であるHisagi氏を
時限的であるにせよブロックで排除したKoba-chanという管理者が、
その自らの「独善性」についてコミュニティより厳しい批判をあびた末に管理者を解任された。
関連して、くだんの利用者だがいい事をいっているので、これも引用しておこう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Nekosuki600/いわゆる暴言なるものについて
あと、こういう知的プロジェクトにおいては、特に喧々囂々で議論を行う事はプロセスで必須。
さっきの
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:井戸端/subj/見識はあるが協調性の薄い可変IPユーザー
このページにしろ、--hyolee2/H.L.LEE だの、例の自警が、「排除の論理のみ」をそのページで
コメントしているが、いつものとおり、それでその本題の議論が深まるでもない。
いつもどおり、建設的批判的見解を牽制し、その批判的見解を述べた利用者を排除して終わらせようとしているだけ。
これを「協調」という美名にすり替える。やってることは横やりで議論妨害しているだけだ。
結果的に、社会的に協調能力が欠如しているから、Jawpで自警行為して自慰行為するしか能がない利用者が、
そのほとんどすべてが、同時に知的弱者でもあるわけだが、
より洗練された集合智のアウトプットを目指す知的でスレスレの議論を妨害して平気な顔してのさばることになる。
そういや、2chのスレでも最近以下のようなレスがあったな。
72 :192.168.0.774:2009/11/12(木) 00:05:39 ID:mqojxTUcO
出典論争はとりあえず横において、話題を変えます。
この種の議論術の有効性はいかがなのでしょうか。
日本語版ウィキペディアでは、たびたび知的能力に劣る強引な方が、
あからさまな議論のすり替えや、目的が不適切な不毛な議論を行って
一般利用者に迷惑を掛けている場面に度々遭遇します。
もし、議論術の定番テクニック情報が一般に普及し、
議論の問題点を共通タームで指摘する事ができれば、
不適切な議論を 誰の目にも明らかな形で是正する事ができるでしょう。(諸刃の剣ですが)
IT分野では、定型的な問題発生状況を
「アンチパターン」と呼ぶ集合知に集積する試みが行われています。
Meta の Category:Pattern にその幾つかが存在し、
それと関連する Wikipedia記事も存在するようです。
従って今回のPMNも、コミュニティの議論の品質を高めるための一つの情報として
例えば Meta に移動したらいいのではないかなぁ〜、と。