Wiki-Daigoです。
『増補 六国史 日本後紀』(名著普及会刊、佐伯有義校訂標注)を借りてきました。それによると、
『日本後紀巻第三逸文』の17ページに 「延暦十三年十月、(中略)、征夷将軍大伴弟麿奏、斬首四百五十七級、捕虜百五十人、獲馬八十五疋 、焼落七十五處」 と出ています。大将軍でなく将軍となっているところが残念ですが。
続いて、『日本後紀第三逸文』の19ページに 「延暦十四年春正月、(中略)、征夷大将軍大伴弟麿朝見、進節刀(紀略)」 と出ていて、弟麻呂が大将軍であることが分かります。
さらに、『日本後紀第六逸文』の35ページに 「延暦十六年十一月、(中略)、従四位下坂上大宿禰田村麿爲征夷大将軍(紀略)」 と出ていて、田村麻呂はこの年になって初めて征夷大将軍に任命されています。
これで、Kemperor1 さんの主張のすべてが崩れました。
----- Original Message ----- 送信者: Kemperor1k001@jcom.home.ne.jp 宛先: wikija-l@lists.wikimedia.org 日付:Thursday, September, 11, 2008, 11:18 PM 件名: Re: [WikiJA-l] (征夷大将軍)
それは無理である。 歴史の捏造は許されない。 史実でない事を史実と看做す事は出来ない。 大伴弟麻呂は征夷大使(征夷将軍)であり、征夷大将軍ではない。 中級貴族の弟麻呂が初代となれば、征夷大将軍の権威は失墜してしまう。 小規模領主の殷王を皇帝と同格と認めるようなものであり、甚だ滑稽である。 弟麻呂が征夷大将軍であるには、坂上田村麻呂を含む他の歴代将軍と同様に 従二位以上の上級貴族である事が必須条件である。 Wiki-Daigoの主張は、下級貴族特有の身分不相応な願望であり、 このような誇大妄想を容認する事は到底不可能である。
Kemperor1