提案の趣旨がちょっとよくわからないんですが、「自分が推薦する秀逸記事」というのは、「自筆の 記事のうち、自分レベルでの秀逸記事」という意味でしょうか。つまり、「一般には秀逸と言えない だろうが、自分ではがんばったつもりの記事」ということですか。それとも、「他人の記事で、自分 が秀逸だとおもう記事」ですか。前者のようなものなら、わたしもないことはないのですが(苦笑)。
ところで、「[[Wikipedia:井戸端#「雑草取り」に抑制すべき過剰はないのか]]」を読んでて思ったん ですが、「雑草取り」はもともと「門前の小僧」養成の意味合いで、初心者に推奨されているのだ とおもいます。いろいろな記事を読むことによって文章の書きかたとか記事の構成について学ぶ 機会、ということで。
しかし現実には、フォーマット修正 (全角→半角変換とか) にとどまっている例が多いようにおも います。雑草取りを繰り返すだけでは校正 (誤字脱字修正や用字用語統一) ができるようになる わけではないようですし、もちろん、編集 (記事の構成を整えたり、加筆すべき箇所を指摘して 依頼したりする) はできるようにならないでしょう。それには、別のトレーニングが必要になるので はないかとおもっています。
現状のウィキメディア日本語コミュニティでは、そのへんのところは個人の努力で能力を獲得する ことが前提とされているわけですが、もうすこし意識的に、執筆者、編集者を養成するような方向 の活動があってもよいのではないかとおもいます。
きちんとした文章の書けない「お子様」とか「布教者」とかにおひきとり願うにも、現状では、荒らし 認定するという方向での解決がとられることが多いですが、この状況は最善とはいえないでしょう。 本来は、品質の低い記事しか生産できないからお引取り願うのであるはずです (このような状況 は、専門家の参加を遠ざける結果にもなっているとおもいます)。
特になにかアイディアがあるわけではないですし、自分でもなにができるというわけでもないので すが、思うところを書いてみました。
08/01/13 に Shun Fukuzawashfukuzawa@jcom.home.ne.jp さんは書きました:
ゆきちです。
前にやった年末ミーティングの際に、「次も二月とか三月くらいにやろう」とい う意見があったので、今、少し考えているところです。
日程や場所などはまったく決まってませんが、それよりも企画はどうしようか と。前はいちおう日本語プロジェクト横断のつもりだったのですが、人材面も考 慮して、次はウィキペディアオンリーにした方がいいかなぁと。あと、「ウィキ ペディア全体」について語る感じのは前にやったので、ひとつ、企画として「オ レオレ秀逸記事」とかやろうかな。
どういうことかというと、事前に5つくらいの「自分が推薦する秀逸記事」を選 んでもらって、当日にその解説をしてもらおうと思っています。日頃記事の品質 についてぐちゃぐちゃいわれているウィキペディアだけど、それを少しはポジ ティブに評価しなおせたらなーと。もちろん、既存の秀逸記事もあるけど、あれ は数も少ないし、ハードルが高いので、その事前練習みたいな感じです。
どんなものでしょう。代案でいいのがあったら教えてください。