こんにちは。初めまして。伊藤祥司(いとうしょうじ)といいます。
ウィキペディアを、主に、日本の地名の読み方 で利用することが多くて、思うのですが、 主に 郡名・村名 などで助かることがある半面、そこにある 統廃合された郡・村・町 などの名に 殆ど全て「かな」が無いことから、どのサイトからも訓みがわからず、謎となってしまいます。 なので、 名称を統廃合史でたどれる書籍の明示か、 「かな」を付ける全面的増訂が望まれると思います。
もしこのメールリストに そういう意見を汲む立場にある人がいらっしゃるならば、 是非、この意見を 汲んで欲しいと思います。
要件のみ。草々。 http://www.geocities.jp/benzo15824/
Bellcricketと申します。
とりあえず、私が住む秋田県内の廃止された郡・市町村についてチェックを行いました。
大曲市(おおまがりし)のみ、読みどころか定義文が無かったので追加を行いました。
読みの記入はスタイルマニュアル(導入部)にもある基本的な事項ですから、それが無いのは少々まずいですね。 個々のケースならば、各都道府県のポータルで聞いてもよろしいでしょう。
伊藤 さまへ
お世話になります。
市町村記事関連の初期から参加してきた参加者の一人として、これまでの経緯、進め方について簡単にご説明申し上げます。
市町村関連の記事はウィキペディア日本語版の短い歴史のなかでも鉄道関連・漫画関連・アニメ関連等々とともに最古参の部類に入るものです。2003年頃に[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村]]が発足した後、約3年を経て、その間に起きた[[平成の統廃合]]による大幅な市町村数の減少を踏まえながらも、ようやく現在の市町村記事がコンプリートした経緯があります。
プロジェクト発足時には約4000件の作製を予想していた市町村記事は全国的な統廃合の影響を受けて、記事が不完全なままに廃村・吸収合併といった旧地名の記事化を辿った経緯があります。また、市町村プロジェクト発足と同時期くらいに藩関連の記事が現代に向けて遡り始め、市町村記事と並行して立稿が進められました。
なにぶんにも市町村系の記事は数が多く、テンプレートは存在するもの、ご提案のように全ての記事を対象にして一気呵成に編集を行なうことはウィキペディアの登録利用者数の多さの割りには実稼動数を見ますと意外に手間がかかります。
数多くの利用者の方たちが不自由を感じている点は否めませんが、どのようにしていけば良いのかが定まらないまま、暗中模索の感もあります。
ウィキペディアはウィキという編集方法で誰もが自由に参加できる編集形態を採っています。まずどのようなものを欲しているのか、それを実現するにはどのような姿が良いのかを具体例を示しながら議論を並行していくのが、ご希望の実現の早道ではないか、と考えます。
私が2003年に参加した当初、深夜に小人さんが沢山現れてきて誰も居ないうちに一晩で記事を作成してくれるものだと想像していましたが、実際には何晩経っても記事が出来あがらずヤキモキしたことがあります。
まず提案。ここまではここのメーリング・リストでご提示頂けました。次は、どのような方法でこれを行なうのが得策なのか。そのために必要な人数はどのくらいなのか、目指す期間はどのくらいまでが上限なのか、等々。これらを順序だってやっていきませんとなかなかご期待に沿えるものは手に入りません。
できますれば、次のステップに移るために、ウィキペディア日本語版にご参加いただき、実際に手を動かし、同時に複数の仲間作りをしながら、閲覧者にとって有用になるであろうと考える伊藤さまの望む姿にしていただけたら、と思います。
老婆心ながら、市町村プロジェクトは非常に緩慢な議論を得意とするプロジェクトです。 あまり性急に結論を急ぎますと、ものの見事に当てが外れます。ウィキペディアプロジェクト自体がかなり超長期なプロジェクトであることを踏まえ、半年・一年くらいのタイムスパンで取り組み、周辺記事の発展を横目で睨みながら一歩一歩着実に記事化していくことが一見すると回り道に見えても実際には最短の近道になると思います。
kobaさま。
市町村記事関連の初期から参加してきた参加者の一人として、これまでの経緯、進め方について簡単に
有難うございました・・。
まずどのようなものを欲しているのか、
具体的にいうと、非常に限定された目的で恥かしいのですが、 赤い昭和30年代の旧岩波大系本4冊の《万葉集》の「頭注」部分をHTMLに打鍵していて、 これは、専門外者として「本文」以外を全て一旦切り抜けようとするための安価な(且つチープな)一手段なのです。 そこで、それに考えられてゐる地名が統廃合されてゐることが多く、 また、現在有る地名でも、よみが検索サイトから見つけられないことがあるのです。 郡名・町名・村名などの他に、古今の字・大字・小字などや山名・川名:神社名・神名・(皇室・貴族などの古)人名:位階・官職名などでも、 (訓み方の変遷(例えば相楽では「ソウラク」グン・「さがらの」こほり・「さがらか」やま→さがらぐんとよんだ時期は無いのか?)なども含めて)時によく判りませんので、困ります。 個人的には、古漢語音韻史に一旦戻らないと自分の作業(古典や台灣語など)が始まらないし、 アイヌ語などの学習にも時間が欲しいために、 日本のそういうことで 簡単に分る道が知れない 「謎(?)」 が多いことが、とても不備な、つまづきの世界に感じますし、 時間をかけるならば、その、おっしゃるような基本作業を成し遂げてしまうための 「文献」捜索の大筋などを 知る必要があると思います。 アイヌ語などの例では 文献に無い地名もある というくらゐに、知ってゐる人が入力しておいてくれるシステムが、一番早いと思うのですが、 どうすればそのような連携的進行の提案が成り立つのでしょうか・・。
それを実現するにはどのような姿が良いのかを具体例を示しながら議論を並行していくのが、ご希望の実現の早道ではないか
その通りで心強いですが、当方には今のところ発想が無く 申し訳ありません。
まず提案。ここまではここのメーリング・リストでご提示頂けました。次は、どのような方法でこれを行なうのが得策なのか。そのために必要な人数はどのくらいなのか、目指す期間はどのくらいまでが上限なのか、等々。これらを順序だってやっていきませんとなかなかご期待に沿えるものは手に入りません。
その通りだと思います。
できますれば、次のステップに移るために、ウィキペディア日本語版にご参加いただき、 実際に手を動かし、同時に複数の仲間作りをしながら、
ここまでは、わくわくします。
閲覧者にとって有用になるであろうと考える伊藤さまの望む姿にしていただけたら、と思います。
この御言葉には、ビビります。
思い出したのですが、九州の地名か人名か藩名かなにかのことでウィキの幕末関係の記事を見たときに、 武士の軍隊の行動経過について、「小倉[こくら]を電撃せよ」との方針に触れる句があり、唐突でそれっきりなために 理由や、事情としての大きさなどが皆目判りませんでした。 日本の古地名・古組織名、記・紀やその注釈:神名帳・戸藉帳・正倉院文書等々での「よみ」を含めて、 知るための知識の広がりの所在が分らないことは、この「小倉を電撃せよ」でも同じで、
部外者としてなんともし難く、 九州に於ける「コクラ」とか西日本に於ける「皇室」には、思ったよりも何か記述上の禁忌でもあるのか、 などの懸念も出て来る始末で、 やはり、現在までで部内者に属してしまう人たちの態度 或いは行動 が動き始めないといけない部分があるのではないでしょうか と(も)思います。
市町村プロジェクトは非常に緩慢な議論を得意とするプロジェクト あまり性急に結論を急ぎますと、ものの見事に当てが外れます。
なんか よくわかる気がします。 しかし、旧名の「よみ」についてだけいうならば、極めて機械的に基本部分が一旦全て進行されるならば、それも手っ取り早く、基礎として有意義であろうと思うので、 云ってみました。
ウィキペディアプロジェクト自体がかなり超長期なプロジェクトであることを踏まえ、
よく分ってゐません すみません。
半年・一年くらいのタイムスパン
一通りの作業の完了が望めるならば、我慢できそうですが、 それが大した基礎にならない場合と、自分の別作業の過去からの流れが消えてしまうのではないか という二点について、少し不安です。
周辺記事の発展を横目で睨みながら
そういう眼が出来る自分かどうか 自信が無いです・・。
一歩一歩着実に記事化
旧名「よみ」については、 そのミチの「文献」捜索或いは操作のヤリテの介入(或いは助言など)が必要かとも。
でもそれは、日本文学者に都合が良いのか、地理学・歴史学などの人が都合がよいのか、
自治体が何か資料を出してゐるのか、など、どの人が案内の手を出してくれそうか、分りません。 自治体については、例えば 北海道の白糠町役場に《サコロペ》という録音テープ附きの本を頼んだときに、 まるでその電話口の人が一番部外者であるかのように なんでそんなものを 馬鹿じゃないのというように怪訝にされたことがあったり、 知床で働いたときに、役場の人に ここらへんのアイヌの人はどこらへんにゐるのかということを幾通りかの訊き方で尋いたら、 まるでその人がその土地についていきなり一番の部外者で「関係無い」というように 全然知らない とだけ言われたり して、 自治体員は信用できない面が大きいと思います。 図書館員はというと、例えば、 アイヌ語資料関係の本を、今は無くなってしまった埼玉県立「川越図書館」に寄贈しようとしたときに、 受理するかどうかは図書館の勝手であるがそれでも本を完全に手放すならば・処理が図書館の自由であり且つ手許にはもう戻らないと認めるならば、 ということをいわれ、つまり、受理に関わる者がその書を欲しい・売ればカネになる・だれかの差しガネや圧力によっての廃棄の必要などあれば、 それによるのだ ということが 暗に露骨であり 曲らなく、 その図書館もかなりの貴重書を多量に収蔵してゐた (長年あてにしてゐたのは三角寛《サンカの社会 資料篇》や金田一京助のアイヌ語伝承記録の本や塙保己一の関係の叢書類影印など)のにうやむやにいきなり解体され閉館するなど、 図書館員とその上部組織(を操作してゐる力)は信用できない面が大きいと思います。
また図書館のことでは、埼玉の狭山市立図書館では嘗て、アイヌ玉などの「児玉コレクション」の蒐集秘話の本があったのに ノチにどうしても見当らなくなり、 《原爆は誰にでも作れる》という国禁本が消えたのと ミョウにどこかが重なるようで 気持ち悪い という思いをしたことがあり、 小さい頃から、宛てにしてゐた割りには、信頼できる組織・人脈の生長をそこに感じれません。 更に、母校の高校の図書館には司書の女の先生がゐたのですが、 アイヌ系の出身である国語の横田先生の親族だからという理由による知里真志保関係者の著作に、 寄贈書であるとの旨を ものすごいド汚い殴り書きで書いてゐるので、詰問したことがあり 態度と筆跡のあまりの乖離に疑問を感じました。 また、母校の大学の図書館では、嘗ての所蔵者による頭注墨書が所々見える本を、 上下截断によって再製本してあるので、そういうことがあっては二度とならないという主旨を云ったら、 少なくとも漢学書については と云っても、比較的少ないのを選んだなどと中々よく判らない当事者がゐて、 分ったと云ってくれた人の態度も、図書館の原則倫理として反映されるのかどうか、甚だ不安定に感じられ、 基礎倫理や応用原則の蓄積などについて 非生長的な感触を覚えるのでした。
当事者に宛たる誰かが、「そんなことはない!」と反論して 更に協力も得られるならばそれも幸いですが。
していくことが一見すると回り道に見えても実際には最短の近道になると思います。
そのような道に 参加したいものです。
結果的に 要らないことを一杯書いてしまいまして すみませんでした。