FXSTです。
Wikipedia:投稿ブロック依頼/FXST http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%...
において、Anonymous000様よりご質問があったので、こちらでお答え申し上げます。 また、今回のような一般に面倒で積極的に関わりたくないような案件において、 ご助力いただいておることに感謝申し上げます。
さて、現時点において、私がブロック解除を望むか否かですが、 端的に最初から二者択一でお答えすると、いらぬ誤解も生じるので、順番に説明させてください。
>当初はWikipediaへの「貢献」([2])を表明し、 「この上もない価値」([3])を感じていらっしゃるとお書きになっている一方で、 最近のご投稿([4]や[5])では、 「ブロック(解除)自体はどうでもいい」と言う趣旨のご発言がされているため、 FSXTさまのご真意がつかみかねております。
まず全体の構造を整理させてください。 1.ウィキペディアという大枠の仕組みの価値とそれに対する貢献の意欲 これに関しては、「包摂主義」のページにおいて私がまとめなおした記事に端的に示しており、 http://meta.wikimedia.org/wiki/%E5%8C%85%E6%91%82%E4%B8%BB%E7%BE%A9 私自身の相当程度の時間と労力を割くだけの非常な価値を感じています。
2.ただ、不幸なことに「たまたま」プロジェクトの発起人に納まった英語版の創始者に問題があり、 その価値を損なうブレーキをかけながら今邁進しているような状況だと理解しています。 それに関しては、ブログに書いています。 http://fxsystemtrader.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/01_9980.html これは、何も今回のブロックに関してのあてつけ記事でもなんでもなく、 冷静に分析した結果であり、それはなるべく第三者が書いた記事を多く引用することで、 なるだけ狭量な主観を排除するような構成にしてあるつもりです。
3.さらに、不幸なことに、日本語版においては、輪をかけて問題が特化しています。 初期のメンバーである木津尚子氏や今泉氏などの自己無批判な管理ぶりが 英語版創始者のメンタリティを踏襲しながらも、より無軌道でいきあたりばったりな 管理者裁量権限拡大路線を暴走しており、残念ながら、まともな人々が馬鹿らしくなり、 あきらめて去る一方で、その無軌道な管理者権限拡大に同調する特異なメンバーばかりが 幅を利かすような状況に陥っている。そして、その管理者グループがギルド化しており、 特異な権力構造のようなものが表層化してしまっている。 (これは結構皆が思う以上にネット上では周知で、加速度的に有名になってきています)
4.以上の(1)ウィキペディアというグローバルブレインとしての価値や それに対する私の貢献の意欲、そして、(2)英語版の成り立ち、(3)日本語版の成り立ち、 と今回の私的醜聞とは基本的に別個の問題です。
これは上のブログリンクのコメント欄でもやりとりしていることを繰り返すと、
実際、私個人のブロックの是非ですか、それも一連の調査と行動のなかでおこり、 不服としたことでより不透明性を確信した、という全体のなかの一部なんです。 いちばん避けたいのは、そういう個人的醜聞にこの一連のエントリで とりあげているようなことを矮小化して扱われたくないということがあります。
だから、 >今回の経緯を読んでいて第三者的な立場で感じたのは、 この騒動はwikipedia の社会的認知の向上に伴う、 既得権益集団への追及なのだろうな、という印象です。
というParadiceMaker氏の指摘のとおり、 そろそろ誰かが声をちゃんとあげて問題を纏め上げる必要があるなと思いました。 そのひとりがたまたま私であったということだと思います。
以上のようなことをもって、個人的なブロックの是非、問題は瑣末な問題でしかなく、 むしろ、Penpen氏が指摘されているように、MLの対話機能が機能していない (管理者の理屈はあるが実際まったく保障されていない)であるとか、 説明責任、義務が履行されないだとか、方針の決定のプロセスであるとか、 そういった数々の今回明らかになったシステムの不備のほうがよっぽど重要だろうと、 そういうことです。
これは、感情的なもつれではなく、現在の管理者の不適正とシステムの問題なのです。 まともなシステムであるのならば、感情のもつれがあろうとなかろうと、対話のプロセスは 保障されていなければいけない。これはPenpen氏が書いている形式の問題という事です。
私個人のブロックの行方はおそらく後から(今のような該当ページの参加者以外の第三者が) 見返したときの試金石になるであろうし、たとえば、現在、改定案が進んでいる追放において、 対話の場所がMLと「保障」することなど到底明記できないであろうし、 管理者裁量にすべてをゆだねる、などという管理者性善説が成り立たない証左にもなると思います。 その点、非常に価値のあるテストケースになったであろうと思います。
さて、今回、私が復帰を「望む望まない」というのは重要なことなのでしょうか? 現在の「投票」の状態を見ていると、そのような意思を明確にしたところで判断の糧にするような メンバーは一握りであるし、なにより今の管理者グループと「司法取引」のようなことをするつもり も一切ありません。そのような取引をする価値がある相手ではないからです。 むしろ、このような言明をすることにより「反省の意思がない」「謝罪しない」とか とんちんかんなことを言い出すグループでしょう。 端的に申し上げると、miya氏の提案ですが、そもそも私は、管理者適正にないと考えている 人間の裁量判断の対象にされている事自体が構造的に無意味なプロセスであり、 私が、そういう裁量判断を尊重する、従う、取引をするということは、 その人物の管理者適正を認める、ということと等価であるので、その選択はまずありえません。
現時点においては、当然不本意ではありますが、現在の腐敗したシステム (当投票システムも当然含める)において、このままブロック継続というアウトプットが出たとしても、 それは仕方がないことであり、その結果においては、当然予期できたことでもあるので、 個人的には別段大きな影響はありません。
ただ、今回のケースを踏み台にして、追放の仕組みの策定、管理者問題については、 ぜひ継続して議論していただきたいし、それこそが、私が「ごねた」理由であるのです。
私は、今回MLやブログでしっかり批判することにより管理者サイドのヒートアップも挑発していたのは 事実であり、その結果相手が結構なボロを出す事に期待していた部分が大きいのですが、 残念ながら、Aotake氏が目撃したように、 IRCで仲間内でFXST個人中傷など吐き出して処理していたようです。 表にその吐き出しフィードバックが見れなかったのは残念であり、その点、Suisui氏が 表に出てこずに、なるべく神格化したイメージは温存したのは狡猾な戦略であると思います。 今後もその戦略は続けて、だれかが勘違いしていたように「毅然としている」と見せかけたいの だと思うし、彼からの自主的なコメントは、よほど一般利用者からの圧力を高めないと望めないだろうとは思います。また、IRCなどでつるんでいるのはより明らかになったのですが、 これだけAnnoymous000氏をはじめとする一般利用者の真摯なコメント依頼を その仲間全員で無視し、「今泉コメントしたほうがいいよ」 とフェアな判断を下すものが誰一人としていないことは、まさにギルドが腐っている証拠ですね? このあたりはAnnoymous000氏もお分かりだろうとは思います。
以上、すでに述べたことの繰り返しというかまとめにすぎないのですが、 Anonymous000様、以上のお答えで十分でしょうか?
もし不明な点がございましたら、また同じ場所で結構ですので、お問い合わせいただければ、 追伸いたしますので、よろしくお願いします。
FXST拝
横から失礼します。Pugnariです。
投稿ブロック継続の是非についての議論に関しては やはり、FXSTさんがウィキペディアへ復帰する意思があるかどうかが 最重要の問題だと思います。もし、復帰を放棄するのであれば、 管理のあり方についての一般的な議論は残るにせよ、少なくとも FXSTさんのことについて、それがいかなる形であれ、少なからぬ利用者が 時間を割く必要がなくなるのですから。
FXSTさんのブログもちょくちょくと拝見しておりますが、 私から見るとFXSTさんのウィキペディアへの疑念は 創始者のアイデアにさかのぼるほどにまであまりにも根本的で、 ウィキペディアが百科事典としての質を維持していくことを 最終命題としていること、 また、その目的のためにどのような方法が良いか 数年にわたって試行錯誤した結果として現在確立されている ウィキペディアの3大方針に対してさえ異議をとなえ、 これらを改変しようとしておられるように見えます。
このようなことを公言するユーザーが、ウィキペディアのあり方を巡って ウィキペディアの内部で異議を唱え続けるような事があれば、 ウィキペディアというまだ子供か赤ん坊のようなコミュニティーにとって あまりにも負担が重いです。
これは、当初のSuisuiさんの即時投稿ブロックの是非といった問題の レヴェルを貼るかに超えたあまりにも、あまりにも重大かつ根本的な 問題であり、見解の相違はもはや乗り越える事ができないほど大きいと 思います。
FXSTさんの「ウィキペディアという大枠の仕組みの価値」の中に、 現在のウィキペディアのもっている精神、百科事典としての価値観が 含まれないのであれば、 ウィキペディアで再び活動する事は合理的ではありません。 なぜなら、ウィキペディアは生まれながらの国籍に縛られるような 国家権力のような枠組みとは違い、 いつでも新たなシステムを創設できるからです。 ソフトウエアはフリーですし、 現在のウィキペディアに含まれている記事も、 著作権、ライセンスの問題に配慮しさえすれば いくらでも再利用可能なのですから、自ら新たなプロジェクトを 立ち上げればよいのです。
現在のウィキペディアは、寄付金などによって支えられた、 負荷ぎりぎりの能力のサーバによって運用されていると理解しています。 これら寄付金は、あくまで、FXSTさんが異議を唱えているところの ウィキペディアの精神に賛同する方々からよせられているものです。 もしウィキペディアの精神に彼らが同意しないのであれば、 ちがうところにお金を寄付すればよいのです。
ウィキペディアの精神に賛同する方の寄付によって支えられている ウィキペディアにおいてウィキペディアの精神に根本的な疑念を投げ掛けるのは あまりにも場違いに見えます。 これは私個人の意見ですが、もし現在のウィキペディアと違うものを 打ち立てたいのであれば、ジミー・ウェールズが5年前にやったように、 あなた自身が新たなプロジェクトを打ち立てていただきたいと思います。 そのほうがお互いのためではありませんか。
様々僭越な発言をご容赦ください。
Pugnari