On 6/3/06, sketch@wikipedia.club.ne.jp sketch@wikipedia.club.ne.jp wrote:
最後に、メーリングリストは投稿ブロックされた利用者との対話の場として設 定されていますので、こういったメールが届くことは必然のものとして、参加者 の皆さんには理解していただけると幸いです。
メーリングリストを対話の場として用いるのは日本語プロジェクトに共通の現象なのですが、これを変更してはどうかと思いました。私は他の言語のプロジェクトにも参加しており、 そこではブロックされた人とコミュニティとの対話の場というのはとくに設けてはおりませんが、それでも特に支障はありません。
DEWPでは「ブロックされた人は、その間、コミュニティから追放されているのだ。だから、対話はそもそもできなくて当たり前だ」というようなことをいう人もいました。これが多数派の意見かどうかは知りませんが、DEWPの場合、コンタクト先は info-de (at) wikimedia (dot) org になっています。
ENWP等英語プロジェクトでは、短期(一ヶ月まで)のブロックは管理者の裁量で行うこともあり、個々の管理者にコンタクトすることが多いようです。まれにMLに現れていろいろいう人もいますが、全体の流量からいえばほとんど無視するにたるもので、実際Jimboさんが「だれだれさんによる君へのブロックをぼくは支持します。以上」的なことをいって、それでおわりです。
Metaで何度かブロックを行ったことがありますが、ログインユーザの場合、メールで事情の説明を求めてくることがあります。ですが、たいてい1往復か2往復でしまいで、解除してほしいと延々いわれることはありません。
なぜみなさんがブロックされた方に(DMでではない)ここで語りかけようとするのか、私個人としては不思議なのですが、「対話」というのはおそらくそういうことも含んでいるのでしょう。問題は、それはブロックという個別事態およびコミュニティの改善に資するものかというところにあります。
そして個人の意見を言えば、MLを「対話の場」として使うというアイディアはそれほど優れたものなのかどうか、疑問をもっています。
現在、ブロックの方針の大改定が進んでいますが、ENWPの方針ベースですと、こうした細かい点の違いがあれこれとでてきます。方針の運用は、関連ドキュメントや議論などを行う場なども込みで行われるもので、そのあたりの違いをどう吸収するのか、いまの「対話」プロセスを新方針で維持することに、どのような利益と不利益があるのかを考えていくことも、必要なのではないかと思います。
管理者の個人的裁量で行われたブロックについての議論を、MLで行うということに、私個人はあまり意味を見出しません。今後、ENWPのように裁量による短中期の即時ブロックと、コミュニティ(ないしその代表)の議論と決定により議論の余地なく行われる中長期ブロックを行うという二本立てに移行するならば、「対話の場としてMLを使う」という枠組みを維持する意義はあまりないとも思っています。
このことについて、みなさまのお考えをいただければ幸いです。
公開の場で弁明を述べ、討論できることは、有意義であり、丁寧な配慮であり、外 国の物まねをする必要はない、と考えます。 神楽
みんな同じなんですよ。 やっぱり、「どこかずれてる人」の相手をするのは疲れるってのはみんな同じなんです。 JAはまだお腹いっぱいじゃないからMLで議論できるけど、議論好きな諸外国でそんなことしてたら あっという間にお腹いっぱいになっちゃう訳です。