KIZUです。 wiki_tomos@inter7.jp wrote:
技術的な理由ではなくて、IPとIDは質的に違うものだから、 IDにのみ投票権を認める原理的な理由がある、 という議論が可能かどうかを考えてみました。
お付き合いいただき有難うございます。案件自体については
IPとIDには質的な違いはなく、同じような問題を抱えているのだけれども、 問題への対処がIPの方が大変なので、そのような「便宜的、技術的な理由」から、 にIDのみに投票権を与えよう、というのがこれまでの意見だったかと思います。
私もこのように考えています。理由は少し Tomos さんと違うかもしれませんが。 「自然人ひとりが平等にもつ権利」と投票を捉えるとき、IDは自然人と 一対一で完全な対応をするものではないからです。強く言えば、IDもまた 実名ではなく匿名の一種であり、その限りで十分な帰責性(Tomosさんの 思考実験に則して言えば「応答可能性」としての責任能力)をもつとは 考えがたいからです。
その一例に、Tomos さんが別のメイルで指摘した「KIZU」と「名無し」が 同一人に帰せられるかどうかしばらく判断がつかなかった、あるいは複数の ユーザが同一IDで活動していた、などの事例が挙げられるでしょうか。 これらは「誰かがつねに同じ姿勢で返答している」「誰かの発言を一貫して 追うことが出来る」という信頼の前提となるであろう確信を揺さぶりうる 事態だろうとも予想します。
なお、ユーザ名の変更ですが、developer に依頼してユーザ名を変更した 場合、前のユーザ名は解放され別のユーザに取得可能になると記憶しています。 ですので、「引退を表明した」アカウントへの投票禁止は、それだけでは あるいは別の問題を引き起こすかもしれません。
#結論としては、ある、ということになるので、今までの僕の立場とは違って いますが、だから黙っているというのも違うと思うので。
ありがとうございます。応答可能性に強くひきつけた解釈であると思いましたが、今回の議論に関する限りでは特に争うつもりはありません。
#別のところではユーザ名を使っていてもそれで誰だか特定できるわけではない、 というようなことも書かれていたような気がするので、その点を考えるとよ わからないのですが、そこは今回は省略しました。
上で触れた「IDもまた一種の匿名」である、ということはその疑問への お答えの一端にはなるでしょうか?
さらに付言して。突き詰めていえば、では実名を出せばそれで足りるのか、 ということになります。私はそれでもおそらく不十分だろうと予想します。 国政選挙でも、名前だけではなく住所と名前の対応で、人物同一性を 確認しますよね。ある名が使われていることと、つねに誰かがそれに 対して返答することでは、その名前がその人格に固有のものであり、 その人格がその名前でのみ呼ばれることをただちに結論できない、 なにか別のモメントが必要である――このように考えています。
そのような状況で、応答可能な/説明責任を果たし得る個人が集まって 意思決定するシステムを作るのに、何が必要か、そう考えたときに、 IPという原理的に個と一対一に対応しないものを個のように擬装して 扱うことは、公平であるべきシステムに不公正を内在させるため望ましく ない、と考えます。もちろん、上述したように、IDだけに制限することが ただちに公平さを実現させるものでは残念ながらないのですが。 # Tietew さんがいう「理想と現実」の折衷、もまた上述のことと近い事態を # 指しているのではないかと想像します。
以上、疑問へのお答えになっていれば幸いです。
Tietew です。
On 14 Jul 2004 02:07:54 +0900 In article 20040713170754.78577.qmail@mail.goo.ne.jp [Re: [WikiJA-l] IPとIDの質的な違い] KIZU kizu-n@mail.goo.ne.jp wrote:
IPとIDには質的な違いはなく、同じような問題を抱えているのだけれども、 問題への対処がIPの方が大変なので、そのような「便宜的、技術的な理由」から、 にIDのみに投票権を与えよう、というのがこれまでの意見だったかと思います。
私もこのように考えています。理由は少し Tomos さんと違うかもしれませんが。 「自然人ひとりが平等にもつ権利」と投票を捉えるとき、IDは自然人と 一対一で完全な対応をするものではないからです。強く言えば、IDもまた 実名ではなく匿名の一種であり、その限りで十分な帰責性(Tomosさんの 思考実験に則して言えば「応答可能性」としての責任能力)をもつとは 考えがたいからです。
私はもともと IP アドレスとアカウントに質的な違いは有ると思ってい ます。繰り返しになりますが,アカウントは純粋に本人の意思により決 されるものであるのに比べ,IPアドレスは経済的・技術的・地理的その 他の理由により本人の意思とは無関係に決される場合があるからです。
勿論,アカウントが自然人と一対一対応であると主張するつもりは毛頭 ありませんし,匿名の一種であるという点についても異論ありません。 (コテハンと匿名性についてはどこでも同じように話題になりますし)
その一例に、Tomos さんが別のメイルで指摘した「KIZU」と「名無し」が 同一人に帰せられるかどうかしばらく判断がつかなかった、あるいは複数の ユーザが同一IDで活動していた、などの事例が挙げられるでしょうか。 これらは「誰かがつねに同じ姿勢で返答している」「誰かの発言を一貫して 追うことが出来る」という信頼の前提となるであろう確信を揺さぶりうる 事態だろうとも予想します。
使い分けと共有では別の問題だと考えます。 使い分けでは応答可能性がある程度確保されますし,追跡もできます。 しかし,共有の場合応答可能性は明らかに下がりますし,個人を分離で きなければ追跡もできません。
なお、ユーザ名の変更ですが、developer に依頼してユーザ名を変更した 場合、前のユーザ名は解放され別のユーザに取得可能になると記憶しています。 ですので、「引退を表明した」アカウントへの投票禁止は、それだけでは あるいは別の問題を引き起こすかもしれません。
ユーザ名の変更をした場合は履歴が引き継がれるので確認はできるでしょ う。問題としては,紛らわしいということです。
さらに付言して。突き詰めていえば、では実名を出せばそれで足りるのか、 ということになります。私はそれでもおそらく不十分だろうと予想します。 国政選挙でも、名前だけではなく住所と名前の対応で、人物同一性を 確認しますよね。ある名が使われていることと、つねに誰かがそれに 対して返答することでは、その名前がその人格に固有のものであり、 その人格がその名前でのみ呼ばれることをただちに結論できない、 なにか別のモメントが必要である――このように考えています。
国政選挙の個人確認は結構いい加減ですが…(苦笑 厳しいと言えばパスポートの取得でしょうか。住民票に戸籍抄本,写真 入り身分証明書と現住所への到達証明,口頭での本籍地確認が必要です。
そのような状況で、応答可能な/説明責任を果たし得る個人が集まって 意思決定するシステムを作るのに、何が必要か、そう考えたときに、 IPという原理的に個と一対一に対応しないものを個のように擬装して 扱うことは、公平であるべきシステムに不公正を内在させるため望ましく ない、と考えます。もちろん、上述したように、IDだけに制限することが ただちに公平さを実現させるものでは残念ながらないのですが。 # Tietew さんがいう「理想と現実」の折衷、もまた上述のことと近い事態を # 指しているのではないかと想像します。
その理解で合っているかと思います。
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