で、どうするんです? 「キリカは荒らしなんだ」と言う事にして始末しますか? だとしたら、とても合理的な対応とは言えませんね。もちろん合理的でなければ ならない理由はないのだから、非合理的でも構いません。もし非合理であるのならば 「ウィキペディアは趣味なんです、責任なんてありません」と言うことを公然と 認めるも同然。また、この判断は高次のものですよ。 「キリカは荒らしだ」とするか「キリカは議論をしてる」とするか その判断が、運用にも関わって来るでしょう。
もし非合理的な運用が嫌であり、合理的な運用にしたいのならば 議論に参加して「ボランティアに責任はない」に対し、誠実に反論して下さい。 もし非合理な運用をして行きたいとするなら、↓私が演じた通りのことです。
「え? 何言ってるんですか? ウィキペディアには責任なんてないよ? きっと熱があるんですね。寒いからお体には気をつけて下さい。」
敬体を使っていても、中身は非合理が支配する趣味の世界なんだから 面白いじゃないですか。今後は「なんで敬語を使わなくてはイケナイんですか?」 と問われたら「趣味だから、形式美です」と、キチンと反論する事ができますよ。 ガイドライン策定も『おままごと』ですね。責任のない世界にガイドラインなんて ある理由がないじゃないですか。必要もない。どうせデタラメな規定を作って デタラメな解釈のもと、デタラメな運用をされるに決まってるんですから。
ともかく私の事はどう対処して下さっても結構です。 その判断がウィキペディアの運用を本質を表すことになりますから。