前略 『人間の本能は鶏と同じく「俺が規則だ」+「えらい人の言うことは聞いて置こう」 である。本能のレベルで処理できる小さな集団なら、別にルールを決めなくても「本 能」で十分処理できる。しかし、多分人間が本能で処理できる集団は20人ぐらいまで である。人間はそれよりも大きな集団を作ってしまったので、やむを得ずルールなど という本能に反するものを使わなくてはいけないはめになってしまった。』というの が私のルール観です。 そして、ルールがあっても機械的に適用できない場合がたくさんあり、最後のところ は人間の判断にゆだねざるを得ないので、「このことについては××が判断する」と いう「ルール」を作っているのだと思います。(裁判官とか代表取締役とかね) 大風呂敷になりますが、我々は皆、生まれたときから法律のある世界で育ってきてお り、法律が先にあるような感覚を持っているわけですが、歴史的に考えると、色々な 事件があり、それの対処法についてそれぞれ考えていく間に得られた経験を明文化し てきたものが法律なのだと思います。英国の憲法などそのことを良く示していると思 います。 それと比べると、日本語版ウィキペディアの状態はルールを「作っていく」段階なの でしょう。もちろん、外に大きな枠としてフロリダ州のNPOに関する法律がありその 枠の中で作られたウィキメディア財団の規則の中の、ある意味「コップの中」のよう な世界ですが、逆に外の枠がしっかりしているから、中では安心して動き回ることが できる。日本語版ウィキペディアにも一応の(かなりの量の)ルールはあるのです が、あちこちに穴がある。 例えば、私自身が今当事者になっている「投稿ブロック」にしても「投稿ブロックの 方針」が2つ(3つ?)あって、どの条文が有効でどの条文が失効しているのかがはっ きりしない。日本の法律なら法律を段階的に実施する場合でも、それぞれの条文につ いて、「××条は××年××月××日に廃止する。××条は××年××月××日から 施行する。」というように書いてあってこのような曖昧なことはないのですが、塩野 七生の『ローマ人の物語』によるとローマ時代は「後で作った法律が前に作った法律 とぶつかるときは後に作った法律が有効」というルールだけで処理していて、廃止の 手続きはとらなかったそうなので、廃止の手続きをとらないほうが元々の形みたいで す。(日本の法律でも一応このルールはあるようですが) 日本語版ウィキペディアの現状をでたらめだと腹を立てる人もあるでしょうが、物は 考えようで、コップの中の世界とはいえ何人で集まってあれこれ意見を交換して 「ルール」を作り上げていくのは楽しいと思いませんか。 草々 ----- Original Message ----- From: "meiwakoko" meiwakoko@yahoo.co.jp To: "Mailinglist of Japanese Wikipedia" wikija-l@lists.wikimedia.org Sent: Thursday, August 09, 2007 1:04 AM Subject: Re: [WikiJA-l] 今井戸端を見てきたのですが
>「気に入らないから、こいつ無期限な。」とか。 実際に無期限くらったものです。 「管理者でおかしいのは一人や二人はいるだろうけど皆では無い。」 と言いますが、僕が見る限りだとイカレテル人間の方が多数派だと思いますね。 皆が皆「ここでは俺たちが規則だ。 嫌なら出て行け!」という態度かは分かりませんが。
(以下略)