ーーー3番ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー | | | | | 広義で言えば、他人の能力を否定するのは個人攻撃になりますし | | 他人の能力を批評すれば、攻撃に繋がる可能性が高まるのです。 | | | | だけど、健全な組織ならば、たとえ個人攻撃であっても | | その批判が合理的であり、正当な理由があるのならば | | 『個人攻撃』として騒がないんですよ。組織に与える影響力が大きすぎますからね。 | | 小さな事まで個人攻撃として訴えていれば、各人が批判するのにリスクを背負う羽目になるし | | 悪い箇所はいつまでも改善されないまま温存する可能性が高まる。 | | こういった体質は腐敗に繋がります。 | | | | だから一般的には、表面的な『個人攻撃』よりも、 | | その背後にある『組織の健全な運用』の方を優先させるんです。 | | そして悪い箇所に気付き指摘してくれた人には素直に感謝して | | あとはそれを修正していきます。 | | | ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【高次と低次の判断】と言うのは3番のような事を指してます。 低次としては、名実ともに個人攻撃だ、とする判断があります。 高次としては、正当な批判や冗談であっても、何らかの別の事情を優先させ 括弧付きの『個人攻撃』にする場合です。
日本語版では、管理者による高次の判断が乱発されています。 会話の流れや文脈からすれば個人攻撃でなくても 〈コミュニティーが荒れてる〉や、〈他の利用者に勘違いされる〉ことを理由にして 『好戦的な議論』や『厳しい批判』ではなく『個人攻撃』にする事が頻発してる。 括弧が付くだけで全然、別次元の判断になります。
そして、この高次の『個人攻撃』を、どこの責任で、誰が判断するのかが決まってない。 セクションも分かれていない。その事はFasoさんの返答を見ても明らかです。 (Fasoさん、回答してくれてありがとね♪) 主張してる人はいました。「コミュニティーの決定には従う」だそうです。 でも、実際には管理者が独断で『個人攻撃』の認定をしまくってる様です。 どうやら、意見の齟齬があるじゃないですか。管理者に任命する際、 責任範囲の規定については、ちゃんとした契約がなされてませんね?