こんにちは、もちろん、誠実なコメントについて怒るなどということはありません。よろしくお願いします。 さて、引用された箇所、
それに、その理屈から演繹すれば、WP編集三大方針でさえも英語ローカルであり、
JAWPでは独自規定を設けてもよいと主張されることになりますが、それでよろしいですか?
はい。原理的にはそうだと考えています。
この、原理的とか言う事で、逃げる余地を残しているのだろうと思いますが、 今は、現実的な方針書き換え議論をしているわけで、原理の話をしているのではありませんね? 実際、MIzusumashi氏は、現実的な提案をWPNOT改訂で出しているわけですから。
従って、この原理的とかいうわけのわからない逃げ口上を否定した上で、 WP編集三大方針を共有せずに、各ローカル、JAWPで独自規定を設けても良いか?という是非は、 問い合わせるまでもなくNGです。以下に理由を述べます。
三大方針のうちのひとつ、Wikipedia:中立的な観点 http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E7%9A%84%E3%81%AA%...
これひとつだけ取り上げてみても、冒頭文を引用すると 「\Wikipedia:中立的な観点はウィキペディアの記事における方針の三つのうちのひとつです。ほかの二つは検証可能性 (Verifiability) と独自の研究を含めない、です。ウィキペディアではこれらの方針を合わせて記事名前空間に書くことができる情報の種類と質を決定しています。これら三つの方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。これらの方針はほかの二つと切り離して考えるべきではなく、編集する際にはこれら三つの方針を合わせて理解するよう努めてください。」
と記述されており、「議論の余地がない」「合意によって覆されるものではない」と明示されていることから、 このオリジナルコピーが英語版文書にあったから、Metaではなく、しょせん英語版「ローカル」であるから、 そのいかなる文面の拘束力も日本語版には及ばない、つまり原理的にせよなんにせよ、JAWPローカルでこの三大方針について 「独自規定を設けてもよい」とMIusumashiさんの主張は暴論であるのが、誰でもかんたんに日本語で確認できます。
大前提として、各多言語WPは、ひとつのWPプロジェクト群のひとつであり、こういう基本概念を共有するのは、 当たり前です。実際、各言語の自治が無制限にフリーハンドであるという担保はないはずです。
ただ、Wikipdiaは法律の縛りの中にあるものではないのでたとえ矛盾であっても存在しえるもの なのです。 良い悪いという評価は別としてwikipediaは二権分立構造であって、司法組織に該当するもの がありません。あるのは民衆と議会だけです。
以上のコメントは、まさに私が注力して翻訳に参加した、 WPNOT改定案の、「ウィキペディアは官僚主義ではない」ということに繋がると思うのですが、 法治システムではなくて、常に利用者間の合意形成が最優先される、ということですね。
この「合意形成」コンセンサスというのは、三大原則と同等以上に揺るぎないWPの原理です。
以下特に、この「合意形成」コンセンサスについて事実の補足をしますのでご覧ください。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:Policies_and_guidelines の最下段にある、 Key Wikipedia policies and guidelinesの囲みですが、
Global principles 全体の原則 Article standards policies 三大方針その他 基本編集方針 Behavioral policies 利用者行動規範 Behavioral guidelines 利用者行動ガイドライン Classification guidelines 分類ガイドライン Content guidelines 記事の内容ガイドライン Editing guidelines 編集の心構えガイドライン Style conventions スタイルガイド
とレイヤーがあり、最上位の Global principles What Wikipedia is not ・ Consensus ・ Dispute resolution ・ Ignore all rules
とWPNOT以外にも、コンセンサス(合意形成)、紛争の解決、ルールを無視しなさい と、princiles(これはやはり総則ではなくて、根本的な(編集+行動)原理を示している)が存在します。
記事の編集作業と同時に、WPはコミュニティであるので、 プロジェクト内の合意方法、紛争の解決、ルールの位置づけ、が規定されています。
mizusumashi氏が、ばっさり落とそう、簡略化しようとしたWPNOTのコミュニティ条項#1と#2は、 ■民主主義でない 多数決方式でなくコンセンサス方式をとる。 ■官僚主義でない 方針、ガイドラインは成文法、不文律、慣習、規範的なものでなく、 過去のコンセンサスの記録、記述的であり、それは重視するが、同時に現在進行のコンセンサスも重視する、 ルールは規範的なものでないので、大局をとらえ、コンセンサスを重視し、ルールを無視しなさい
ということで、 これらをばっさり落とすことは、 三大編集方針をネグレクトすること以上に、 WPの行動原理の部分を大幅にネグレクトする事になります。
特に、合意形成の作法というのは、WPの意思決定で根幹であると私は考えているのですが、 それについて例示的に規定するのが民主主義でない、官僚主義でないの2項目です。
この2つの項目はWPにおける 合意形成、 意思決定、 方針の位置づけ と決定的に重要な原理を解説しているものであるので、 これを落とす事はありえないでしょう。
WPNOT改訂のmizusumashi提案においては、この2項目をばっさり切り落とすか、 もしくは、以下のような対案を出しておられる Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか より
* 「民主主義ではありません」節 - 「多数決至上主義ではありません」というようなセクション・タイトルにし、いきなりの多数決投票や無闇な多数派工作を戒める。I(個人的には、「賛成」とだけの投稿や、議論になっている点についてなぜ、どのように賛成なのか、反対なのかが分からない投稿を戒めることには意味があるだろうと思います。) * 「官僚主義ではありません」節 - 「不磨の大典ではありません」というようなセクション・タイトルにし、方針は変遷しうるものであり、またその精神にそった解釈が求められるものであり、ときにはウィキペディア日本語版の目的そのものやその他の重要な考慮要素が優越することもあるのだ、ということを説明する。
この文面をみれば明らかなように、まったく概念がねじ曲げられています。 合意形成、コンセンサス方式についての言及はまったくなく、 ただ単に、多数決「至上主義」ではない、とか、あくまで、方針の規範に従うことを残したままとしています。
余談ですが、mizusumashi氏は、氏の利用者ページをみれば明らかなように、 ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Mizusumashi 「法は善と公平のアート」法律が非常にお好きな方です。井戸端でも、 法解釈で「形式的」「実質的」という区分けをJAWP方針議論で好んで用いられます。 しかし、当初私どもが翻訳しましたように「官僚主義でない」のなかで、 Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625 >ウィキペディアはきまりで縛られているわけではありません。模擬裁判ではありませんし、規則はコミュニティの目的ではありません。指示の肥大化は避けるべきです。ウィキペディアの基本方針とガイドラインは記述的であり、規範的ではありません。 と記載されてしまうと、非常に個人的趣向としてお困りになるんでしょう。よく理解できます。 模擬裁判でない、と言われてしまうと、法律議論がしにくくなるし、きまりでも規則でもない、記述的で規範的でない、とか言われてしまうと、 法解釈の「形式的」などという分析の前提がふっとんで消えてしまうからです。
しかし、これらは、あくまでWPの根本原理のひとつである、「合意形成」意思決定プロセスをきちんと担保するために、 絶対必要な解説であり、これを除去することは、三大方針の改変とおなじで許容されるはずがありません。
この疑問は常々ありますので、米国の財団の見解を直接聞いてみたいとは思っているのですが あいにく私にはそこまでの英語力がありませんのであきらめています。 Nativeな英語力をお持ちの方が実際にお問い合わせをしていただいて、どのような答えをいた だけるのか多くの人が知りたいと思っています。今、そういう人を皆が必要としていると思います。 wp99さん、できますか?
私は、以上のように、明らかである、と考えていますが、確かに良い機会であるので、 直接、現時点での財団の見解を問い合わせるのは良いかもしれませんので、2、3日中に回答がいただけるように 試みてみます。
以上です。