利用者:Sacrada です。
任侠以下略さんのメールについては、私もメールを除外してまったく見ていなかった のですが、まだ続いていたんですね。 ヤクザな理論展開とかおっしゃってますが、むしろ任侠さんの手口がヤクザの手口の それと同じなのではないかと思います。 言い換えるなら、任侠さんの方が「筋の者」であるか、あるいはそれを模倣しようと しているように見えます。
ちなみに Wikipedia は、ヤクザでも右派でも左派でも、他人とちゃんと協調できか ついくつかのルールを守れば利用できることになっています。 逆に言えば、あなたが何者であろうがどのような思想を持っていようが関係ありませ んし、それは他の人についても同様です。 誰がヤクザであろうが在日人であろうが CIA のエージェントであろうが地球外知的 生命体であろうが、それは関係ないのです。 それは利用者であろうが管理者であろうがビューロクラットであろうが同じことで す。 すべての利用者が同じ土俵の上で Wikipedia プロジェクトに関わるシステムになっ ています。 任侠以下略さんがどのような意図をもって在日やヤクザ、悪徳商法などという言葉を 持ち出したかはわかりませんが、 それらの単語を特定の、あるいは複数の利用者に当てはめたとしても、Wikipedia に はだいぶ意味がないと思います。
ここからは私の持論になりますので斜め読みで結構です。 ある行為に対して他の利用者からの合意が得られれば、それは Wikipedia プロジェ クトとしての行為であると、私は考えています。 逆説的に、Wikipedia プロジェクトの行為として認められればその行為が何に基づい たものであろうが関係なくなると思っています。 その行為のそもそもの発端がなんであれ、合意形成が得られた瞬間に、それは 「Wikipedia」と置き換えられるのだと思います。 その本人が右派であろうが左派であろうが何であろうが、その人のおこなった行為 (記事の編集でも、投稿ブロック依頼でも)が、 他利用者を十分に納得させ、合意を得ることができるのであれば、それが右・左翼的 思想に端を発するものであろうが「Wikipedia」になるのだと思っています。 だからこそ Wikipedia は参加者の人種・年齢・主義思想を問う「必要がない」ので はないでしょうか。
以上、任侠さんの「在日」「ヤクザ」「悪徳商法」「談合」などといった言葉に基づ いた書き込みに意見させていただきます。