Caliveroさん、
同感を示して頂きありがとうございます。 気が小さいものですから、良心的なサイレントマジョリティがいると思っているのですが、 本当にいるかどうか不安になってしまうことがあります。
古代ギリシャの彫刻家フェイディアスのエピソードは、 「彫刻の裏は誰も見えないのだから彫らないでもいいではないか」 と会計官が支払いを拒んだことに対する彼の返答で 「神々がみている」 というものでした。
我々日本人的にはまさに 「自分がみている」 「自分をだますことはできない」 という言い換えができるのではないかと思います。
参考:http://arte-cast.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-0268.html
将来死ぬ間際に人生を思い出し 「良い人生だった」と思いたいじゃないですか。
だから「一期一会」の気持ちを忘れないでいたいと思います。
ここにいらっしゃるみなさんも少なからず「一期一会」の気持ちを共有して頂けたらと思います。
2009年11月7日13:23 Calvero calverowp@gmail.com:
私も(直前の)岩田さんのご意見には同感です。 人の欠点であるとか、システムの欠陥を指摘する目的であるとしても、 罵倒に満ち溢れていては、普通の感覚を持った人であれば見るに耐えないものであると思います。 そういった投稿を目にすれば、まともな人はどんどん離れていきます。
「MLの質」を維持するためには、他人に不快感を与えないための心配りがまず大事であると考えます。 それは投稿内容の重要さとか、主張を行いたい人の意思の強さとかよりも、 ずっと優先されるべきことでしょう。
これは常識であると思うのですが、こういった場所では無視しても何の社会的ペナルティーも無いため、 軽視されがちであるように思います。 もし職場や学校で同じようなことをすれば、誰からも相手にされなくなってしまうのではないでしょうか。
-- Calvero