Penpen様、お久しぶりです。覚えております。 私が即時削除の方針の際に困っていたところ、米国のWikipediaの方針の 中からGFDL或いはコピーレフトに関する該当記述を見つけて下さった方 ですね。 なんと、Penpenさんも同じ方に投稿ブロックされていたんですか。
Loniceraさんですが、私がWikipediaを始めて早々の頃の発言、を相当に 嫌っているようですね。niceraさんの怒りの根源がここにあるみたいです ね。昔のことなのに・・ [[Wikipedia:削除依頼/画像:Nanjing1937 BabyOnTracks.jpeg]]
そこで、何を言っているのかと、ここでまたWikipediaの原則を伝えたわけ ですが、 [[Wikipedia‐ノート:削除依頼/南京事件 (1937年)]] 「私がコピーレフト概念の再確認(提起)を求めた結果、管理者権限に 一定の箍がはめられる結果になったことがよっぽど気に入らなかった わけですね。でも、WikipedianとしてはGFDLの基礎に来る概念なんです から、コピーレフトが嫌いでも避けて通ることはできませんよ。」 と、原則を述べたことが、またさらに怒りを買ったようです。
私はオタク系でどうもよくわからないのですが、淡々と規則や原則を 並べるとより大きな怒りを買うというパターンがあるようです。 本当なら皆さん、規則や原則(Wikipedia内では様々なWikipediaの方針) の指摘があれば、それら規則どおりに従うべきものであると単純に考え てしまうわけですが、中には「規則を守りましょう」と言うと、自分のプライド や権限の制限を受けるように感じるのか、ものすごく怒って反発して来る 人がいるみたいですね。Loniceraさんもこのパターンなのでしょうか。 それが、Penpenさんの言う「お疲れ」説で正しいのかどうかわかりません が、やはり気をつけた方がいいようです。
先ほど、当方のMISから同じように、ある意味気をつけるように示唆が ありました。ある意味とはPenpenさんの説と似たようなことですが、 もっと深刻な話を聞かされました。巻き込まれたくないので触らないよう にします。
私自身もLoniceraさんに投稿ブロックされている(泣)ため、バイアスの かかった意見であることは否定しませんが。 「Wikipedia:削除依頼/南京事件 (1937年)」の中の(引用開始)「愚にも つかない自分基準の屁理屈を垂れ流しており」(引用終わり)を見ると 必要のない「愚」・「屁」という言葉を使っている点などに判断力の低下 を感じます。