[WikiJA-l] 必要性がないは動機の否定?!

でくのぼう htrptgskdyt @ gmail.com
2009年 4月 22日 (水) 23:38:22 UTC


>HareーYukai様へ

冠省 投稿なされて、そのご努力に感服致します。また、色々と参考になります。

さて、このMLリストの目的について先般来より議論がなされています。確かに、
「ブロックを受ける」ということは、真に恥ずかしいことですし、反省して改めなけ
ればなりません。その為の期間として小生としては有意義であったと思っていま
す。「ブロック」についての小生の考え方としては、その期間、悔悛して、また体
験から学習した上で、投稿しようとしても編集ができないわけですので、自分を
成長させようとして愚直に努力しようとしても編集できない悔しさみたいなものを
お感じなられていると思います。

しかし、6年くらい前からすると、「合意形成」によってルールが決められてそれを
厳守しなければならないという「監督制度」が徹底していますから、在る意味では
以前のような「虚偽の記載」等々もなくなり、小生のような「故意」ではないにして
も「荒らし」のような行為も注意を促されている状況だと思います。

小生のような「荒らし」の行為に匹敵する行為も、一応、ブロック解除はされてい
ますが、小生としては、これ以上この百科事典の編集を行うだけの「能力」という
ものに自身がなくなりました。小生も20才の頃からですからもう40年前から大型
コンピュターを動かし、パソコン歴もそこそこ在るとは思います。また、研究職の
経験から通産省、建設省の研究所でレポートも多数書いた経験はあります。

ところが、ここでは、一定のルールに反したものはその根拠については、様々な
ルールが用意されています。それは、長年の「監督制度」の涙ぐましい経験から
合意形成された者であるに違いありません。

小生は、このルールについては、「逸脱行為」(制度からはずれた行為)として
運用されているのだと信じておりますので、記者の人格や性行などについては
紳士的には、それを「非難」するのはそれは自由になされているようですが、
もともと人間が、しかも多様な価値観を有する者の集合知であることを前提で
この百科事典の「ミッション」が「多様な価値」を集合するということであれば、
それぞれの特異の性格や性質、性行は当然あってしかるべきだと思います。
であるからして「合意形成」をもって運用するのが、「非営利公益事業」のあり
方であると思います。

例えて言えば、「道路交通法」というものが存在しており、「スピードオーバー」
や「駐車違反」、対向車線を走ってみたり、赤信号を無視してみたり、時には
人身事故もあるかもしれません。

「ルール」から逸脱した場合は、「監督制度」に従事した者は、処分をしなけれ
ばなりませんし、免許停止(ここではブロック)も処分としてあるものと思います。

しかも、このMLは、全世界に開示されていますので、処分的な行為をなした
アカウントは公開されて、いわば「社会的な制裁」を受けることとなります。

もし、そのようなことを良く熟知していれば、それなりに学習した上で、参画
したでしょうが、「ミッション」が、「大胆な編集も認めます」となっていますから
素人としては、大胆に編集してかまわないという理解をするアカウントもあり
うるでしょう。

ですから、学習して成長していけばよいのですが、小生のように「6回」も
ブロックを受けると言うことは、「学習能力に欠け」ており、しかも、「能力
として劣っている」という事実を過去に明示しているのであります。

したがって、「無能力者」が、今後、投稿をするということは、また「道路交通
法」に反する「危険なドライバー」として「監督者」は、マークせざるを得ない
ということになります。

したがって、「永久追放」という「最終処分」を、例えて言えば「免許取り上げ」
という過程を、小生は進んでいるわけですから、慎重を期して、つまり、地元の
産・学・官の共同作業(NPお、NGO活動などの公共公益事業)で公益事業を
行っているその成果を記述商としているのですが、それすらも「非難」されてい
ることからすると、すでに「投稿活動」を止めて欲しいという意志が「監督者」に
あるというわけです。確か、ガイドラインには大学。産業、市民の共同研究など
により得られた確たる情報を開示するのは好ましいことだと明記されているの
ではありますが。

そして、個人の性行まで「非難」するというところまで言っていますので、これ
以上、このMLでの記載行為は、あらゆる観点から「危険人物」としてネガティ
ブに対応するということが明らかになっているはずです。良く、行間を読んでみ
ていただきたい。

かといって、このままこの百科事典の「監督方法」が本体の「非営利団体」
(この百科事典もそうですし、NGO、NPO、小生が関与しているユネスコ)
などに於いて行われている「主権」を大事にして「固有性」と「独自性」をも
って望み、「多様なる価値を認める」という本来の「非営利公益事業」のか
たちになるかもしれません。

産・官・民の共同事業による、NGO、NPO、またユネスコなどの事業は
昨今は「コニュニティガバナンス」(住民自治)としておおいに釈迦事業とし
て認められているおり、必ず、この百科事典の同等の「非営利事業」も
その記者の固執性独自性が認められる時代がすぐ目に前に来ています。

結論として、小生は、本百科事典の運用が時代の要求である「直接民主
性」による「非営利事業」に本百科事典が昇華するまで待つということが
得策だと思います。

よく言われるように「熟慮」、「放下」、時期をみて「断行」するという方法が
この「非営利事業」の民主化の為にも必要だと思います。

また、楽しく編集ができませんと「監督制度」、いわゆる「警察官」ばかりを
気にしては、快適なドライブもできないものと思います。本百科事典も「楽
しく編集すること」を推奨していますので「係争」的な議論には関わらない
ことが一番に肝要と思います。

まずは、この百科事典の崇高なる「ミッション」である五本の柱を良く読んで
みて、気をとりなおして、「争い事」に関わらないようにして「楽しく記事が書け
る」まで、十分に「熟慮」して、大事な記事を書きためておけばいかがかと
思います。

最後に、楽しくやりましょう。
まずは、略儀、寸書にて失礼ながら、ご意見を申し上げます。

不尽草々

posted by でくのぼう


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