[WikiJA-l] Wikipedia: 投稿ブロック依頼 /GcG 追認と延長におけるコメントおよび申し立てについて

gcg_on_wpja @ yahoo.co.jp gcg_on_wpja @ yahoo.co.jp
2008年 5月 4日 (日) 03:52:17 UTC


GcG(http://ja.wikipedia.org/wiki/User:GcG)です。

まずはWikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 追認と延長におけるコメントについて。
次に、ブロック期間とおはぐろ蜻蛉氏の対処についてです。

本文については、MLは必ずしも周知されていないことから、アクセシビリティを
考慮してブロック期間明けに[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 追認と延長]]に
投稿する予定であり実際にその執筆を行っておりましたが、編集がおはぐろ蜻蛉
氏のブロック対処と競合してしまった関係で記載することができませんでした。

これについては些か反撥を覚えましたが、そのようなコンフリクトについては内
心のわだかまりとして処理するより、積極的(かつコミュニティを疲弊させない
よう)に生産的に発散することが有益であると考え、以下に報告することとしま
した。


■追認が多量に入ってることでも判るように、具体的手法を記載したことは勇み
足であったことをお詫びします。
サリン事件等の事例における公機関の報告書等には、実際の手段手法について記
載がなされており(むしろ、しなければ証明とならない)、これを踏まえて具体
的手法の例示を行ったわけですが、場の可視性といった点から不適切だったよう
に考えます。ノートのあり方についての認識を改める必要に迫られました。

 
■境界例・遷移現象は学術的に興味深いことが多く、またパフォーマンスを最大
限に引き出す際には極限領域を攻めることが多々あります。 
一例を挙げるならば、軽自動車ではその枠内で最大の性能を得るため、各自動車
メーカーは小型エンジンにターボを取り付けるであるとか、ギリギリまで車体を
拡張するなどの行為が行われています。ただ、人命・法律関係および個人攻撃な
どに抵触するような範疇でやったことは誤りであったように思います。
モノリシックに作りこむ場であるならともかく、複数人で進める場合にはその枠
の齟齬が生じたり、本件のように思いがけず踏み越えるといったことが起こりえ
るからです。

■海獺氏は[[Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/GcG 追認と延長]]に''「私か
ら追認を出した場合、コミュニティに個人的な感情と取られる可能性を懸念し、
現在まで何もコメントをせずにおりました。」'' 
と書いておいででしたが、これはまずいと考えます。ご自身の判断に誤りが無い
とお考えなのでしたら、正面から向き合い、ご自身で追認依頼を出されるべきで
はなかったのでしょうか?
お言葉ではありますが、責任回避のような姿勢はいかがなものかと思われます。
遺憾ながら以前私は数度ブロック処置を受ける運びとなったことがございますが
、己の過ちを認めた際には諾々とコミュニティの判断に処置を委ねておりました
。わざわざ異議申し立てを行ったというのは、それだけの理由があるということ
をご承知おき願います。


私の「私は客観的に許容されると考える範囲内であらゆる行動を行うことを否定
しません。」との言質がやや波乱を招いたようです。たとえば赤井彗星さんは「Wikipedia
に対して妨害活動を行う」とのように認識していらっしゃいました。私はこれに
ついて弁明を行いましたが、なおこの発言について危惧していらっしゃる方がい
らっしゃるようです。
しかし、そのような危惧は行動によって晴らされたと声明いたします。”私が客
観的に許容されると考える範囲内で行った行動”とは、具体的には本メーリング
リストにおける意見発表、そして、前に挙げた[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 
追認と延長]]におけるコメントにあります。これらは取り立てて危険視されるよ
うなものではなかったはずですし、それが可視的に保障されております。
ですから、そのような危惧は順次解消されていくものと私は捉えておりますし、
そうした事情を捉えていただきたく思います。

このように、現状の問題については既に解消され、もしくは解消されつつありま
す。
従いましてブロックの撤廃ないし、期間の短縮を申し立てさせていただきます。

本件の類例としては、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wiki ryon
20070702やWikipedia:
投稿ブロック依頼/Aphaia 09022007がございます。

しかしながら、本件における私についてのブロック期間はこれらに比しましてや
やもすれば長すぎるのではないかとの感想を持っています。
何故ならば、これらの例における「論議の消耗性」や「自己責任についての弁明
のなさ」といった問題は長々と述べましたように無く、十分に論議は冷却してい
ること、今後の展望について声明が為されていることなどが挙げられるからです
。

以上、申し立てとします。



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