[WikiJA-l] 必要性がないは動機の否定?!

Hare-Yukai neotesla @ ballade.plala.or.jp
2009年 4月 22日 (水) 14:04:27 UTC


静葉さん

これはあくまでもでくのぼうさん他のお話ではなく一般論で。
私もWikipedia執筆の動機について真剣に考えているのですが、

> あなたが編集する必要性そのものがない

これは、執筆の動機に対する重大なる禁句になるのではない
かと思います。
今、じっくりと考えをまとめているところですが、一つの視点は
「人は必要とされることから生きている意味を感じる」という点
です。
Wikipediaってただのボランティアですから、動機と言えば金銭
目当てじゃないし、でもなぜか生きがいを感じるという気がして
書き始めると楽しいわけです。
その理由を考えてみると、多くの営業教本、新興宗教本、いや
キリスト教の解説書や仏教の解説書の中にも口々に人が生き
る意味について説いていますが、やはり、「あなたは人から必
要とされている」ことをと知ることから生きる意味を見出すと口々
に語っていますよね。これって人の生きがいの共通語なのだと
思います。
Wikipediaが発展してきた理由の根本部分にそれがあるのでは
ないかと思います。
Wikipediaのシステムは自分が書いた内容に対して確実に誰か
から必要とされている実感が感じられるところにあるでしょう。
必要とされている気がする。だから書いている。少なくとも私に
関してはそれが動機ですね。

一方、その生きがいの根本部分を否定してしまうとWikipedia
そのものを否定することにならないか?荒れる原因って何
か?なぜかその禁句を多く持ち出す場所に限って発生して
ないか?などと思ってみたりするわけです。

実験は簡単だと思います。試しに数人の管理者の方々が、
特定の議論ででわざと「必要ない」を連発してみてください。
他の議論ではわざと「それは必要だ」を連発してみてください。
両者の荒れ方、落ち着き方を比較してみると答えが出るので
はないかと思われます。というか、危ない実験ですけどね。
くだらないと思ったら実験の話は聞き流してください。


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