[WikiJA-l] 論点を最小限に絞ります

Ken OKABE kenokabe @ gmail.com
2006年 9月 12日 (火) 11:59:35 UTC


っさん、

ありがとうございます。

>現在適用されるべきルールは
[[Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案/FAQ#A. 既に行われたブロックの場合、
話し合ってください]]になると思います。

>すなわち、権利を保有しているかどうかはさておき、
解除の手続きは、「ブロックを行った管理者と話し合」うことから
スタートします。
つまり、「異議を申し立てる権利」や「抗議する権利」を行使することによって、
解除の手続きがスタートするのではないと解釈します。


では、
0.前提として「異議を申し立てる権利」や「抗議する権利」はあるとします。
なぜか、YesNoの二択の質問をはぐらかすような回答をいただいているのですが、
今は文脈によりYesと解釈します。Noであるのならば、その根拠をお聞かせ願いたいと思います。

1.「ブロックを行った管理者と話し合う」というのは、ブロックされたものが、
ここに「反省文を書く」ということと同義ではありませんね?

2.話し合いというのは、特にこの場合、もちろん両者の主張のぶつかりと歩み寄りの過程であると思うのですが、
そのスタート地点において、両者の主張を明確し、相互に相手の主張を認識することからはじまります。

そのスタート地点で、

(A)ブロックされた側が「異議を出す」「抗議の意思をしめす」という主張、態度を明確にするのは、正当ではないですか?

(B)ブロックした側がブロックした経緯を説明する、その裁量の合理性、正当性を主張する、のは当然ではないですか?

それとも、この「管理者と話し合う」というのは、管理者側の主張を飲み込み、
ブロックされた側「のみ」が歩み寄るという「一方的」なものなのでしょうか?
それならば、1の「反省文を書く」ということと同義になります。

私は(A)を今実行しています。一方、「話し合いたいので」そのスタート地点のもう一つの要素を
満たすために相手の(B)も望んでいます。つまり、ブロックした管理者の説明責任を果たすように要求しています。

さて、ここで実際何が起こっているかというと、その話しあいのテーブルの向こう側に着席し、
(B)を実行するものが姿を見せないのです。

私は再三、相手にむかって(B)のひと出てきてくださいよ。話し合いをしろという「ルール」ですから、(B)をお願いしますよ、こちらはすでに(A)の作業は終わっていますよ。と申し上げているわけです。

A,B両方そろわないと、というかBの人がいないと話し合いも歩み寄りもできませんね?

このあたりっ氏その他、複数の方に個別メールではなくて(繰り返しもうしあげます。感謝しております)
どうぞこちらで参加してください、と申し上げている方々はどのようにお考えでしょうか?

FXST拝



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