[WikiJA-l] 出典を、調べない人が、「要出典」と命じる。
Noda,Kentaro
kentaro_noda @ infoseek.jp
2006年 12月 11日 (月) 21:12:10 UTC
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB
ずいぶん酷い編集を行ったものですね。
>シェッフェルは即興演奏にも造詣が深く、前衛の時代に最も即興演奏を盛り上げたと評価される[要出典]。
全作品表を見渡しても、即興性を重視した作品をこれだけ書いたポーランド人はいません。うるさいくらい論文があります。ニューグローブを調べれば直ぐ解る。TIS-MW2の論文があったような。
数は少ないけど、レオニウシュ・チュチュラがそれに次ぐくらい。
>前衛のスペシャリストであった彼も作曲のやり辛さや窮屈さを感じるようになっていたと考えられる[要出典]。
創作ペースが落ちる前の作品aSaとかは、手詰まり感が強いですね。楽譜、読んだの?実際断筆する直前の作品がトロンボーンソロのための「告別」。
>これは明らかに前衛の世代ならではの発想であり、明瞭な聴取を伴った密度で書きたがる戦後世代への露骨な挑発的態度でもある[要出典]。
シェッフェルの作品は晦渋な密度でテンションをあげる傾向が1949年以降トレードマークです。すでにシンフォニア・コンチェルトは韓国人とオーストリア人の論文があるかな。バルバラ・ドブレツベルガーの著書の参考文献を参照のこと。解りやすさを伴った断章も近年の作品にはなくはありませんが、必ず晦渋な密度の断章が次に来ます。
>「調性で作曲なんてやめてよね、今更誰も見向きもせんよ?」と若手作曲家にきつくアドヴァイスを与え続けているが[要出典]、
アヴァンギャルド・チロルにおけるレッスンで、私への発言です。
>「常に新しいパラメータ情報が現れ、回転する」コンセプトを伴う作品を招待若手作曲家の誰よりも早くわずか6日間で完成させるなど未だに現役の作曲能力を誇示し、周囲を驚愕させていた[要出典]。
これは一同引いてました。難なく書いた、といわんばかりでした。このコンセプトも私への発言。
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これらを「検証が困難」といって要出典タグを張ることは可能かもしれませんが、論駁されたら剥がすべきですね。
作品リストの抜粋も削除されていますが、それはヴェルディ音楽院などの目録を探せば、出てきます。(恐らくアルベルト・カプリオリの寄贈だろう)
日本人で接触している音楽家が、最早私しかいないのに、ずいぶん失礼ですね。
KN
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